弥治郎系の傑作・梅こけし

先日の全日本こけしコンクールの受賞作品もそうなんだけど、「梅こけし」はわが佐藤家、本家小倉家の特徴的なこけしの一つになってる。

今日はその「梅こけし」の発祥についてお話をします。

梅こけしは、弥治郎系の傑作の一つと知られています。
梅こけしは、小倉嘉三郎の弟子の一人、大野栄治の創作から生まれました。当時ロクロ模様が中心の弥治郎系にあって、大野栄治の鮮麗目をうばう美しいこけしは、収集家を大変騒がせたそうです。
umekokeshi.jpg 元祖梅こけし。左・大野栄治作 右・小倉嘉三郎作

 新山左内と佐藤春二、大野栄治は仲がよく、15歳の時に三人で松竹梅のこけしを作ろうということに話が決まって、左内は松、春二は竹、栄治は梅を描くようになった。(こけし手帖17号、土橋慶三氏の話)

 大野栄治は天才的な職人気質の工人。繊細な筆づかいで、
非常にまてな美麗の栄治作梅こけしは人気を博しました。 
oonoeiji.jpg 在りし日の大野栄治氏

「この頃はこけしを多数作り、まてな仕事で弥治郎の中では一番売れる工人であった。(こけし辞典)」

嘉三郎の長女はつと結婚後、昭和4年に北海道へ移住した後も、梅こけしを作り続けました。今でも大野栄治の梅こけしは名品として知られています。

 大野栄治がいなくなった後、嘉三郎は自分の梅こけしを作りつづけたわけですが、栄治とは対照的に、梅模様も表情もおおらかな雰囲気。戦前は栄治作の評価が高かったものの、戦後はむしろ嘉三郎の梅こけしが高く評価されるようになってきました。
ogurakasaburou.jpg 在りし日の小倉嘉三郎氏

 梅こけしはその後、嘉三郎の子孫・篤、勝志、大野栄治の息子定良、佐藤誠、誠孝、英之、高橋精志などたくさんの工人が受け継ぎ、「弥治郎系の傑作・梅こけし」は現代でも愛され続けています。

文・佐藤英之
参考資料 こけし辞典(鹿間時夫編)
こけし手帖(東京こけし友の会編)

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