こけし工人プロフィール

四代目 佐藤裕介工人(さとうゆうすけ)

佐藤裕介
生年月日 昭和57年4月6日 福島県いわき市生まれ
  1. 佐藤裕介のこけし
幼い頃から絵画に深い興味を持ち、高校卒業後は絵画関係の専門学校へ進む。その後も独学で絵画を磨き、平成25年ころより雅号「夏井裕」として地元を中心に絵画活動を行っていました。
学生の頃から手伝いをしていましたが、平成21年10月より、父誠孝を師匠として、正式にこけしの修行を始めました

平成21年10月より、父誠孝を師匠として正式にこけしの修行を始めました。
絵画の経験から生まれる筆使いで、特に描彩は初期から高い評価を受けていました。

画家時代の経験から生まれた、「グラデーションこけし」「グラデーションねむりえじこ」は若いこけしファンを中心に大きな人気を集めています。

こけしコンクール受賞歴

平成22年 鳴子温泉観光協会長賞 全国こけし祭りコンクール
審査員奨励賞 全国こけし祭りコンクール

全国には、年間に『三大こけしコンクール』が開かれています。

  1. 全日本こけしコンクール(5月・宮城県白石市)
  2. 全国こけし祭り(9月・宮城県大崎市鳴子温泉町)
  3. みちのくこけしまつり(10月・山形県山形市)

各コンクールで受賞をいただいております。
大臣賞はコンクールでも指折りの上位賞であり、中でも内閣総理大臣賞は最高賞となっております。

女流工人 佐藤美喜子(さとうみきこ)

佐藤美喜子
生年月日 昭和30年1月4日 福島県会津若松市生まれ
血液型 A型
好きな言葉 『青空』 そのこころは・・・
『青空を見ると、心がすっと落ち着く感じがします。
元気が出ます。』

 

佐藤美喜子のこけし

 

生まれ

昭和30年福島県会津若松市に生まれる。四人兄妹の末っ子。
幼い頃から、あまり口数が少ない子どもだった。高校生の時、バトミントン部に所属、主将として全国大会に出場した経験も持つ。

結婚・そして自立への道

18歳の時、佐藤誠孝と出会い、19歳で結婚。当時姑が経営して、多忙になっていた旅館業に従事し、夫と3人で忙しい日々を送っていた。
そんな彼女も、4人の子宝に恵まれ、夫誠孝が、人生の師とも言える森亮介氏と出会い、こけしを専業とすることが決まった。旅館は人に譲り、現在の平塩へ移転してからは、次第に自分の居場所を確立していったようである。

こけしの道へ

子どもたちも大きくなり、次第に手を離れていくにしたがって、少しずつではあったが、こけしの仕事を手伝うようになった。また、10年前頃からは、こけしの描彩(紙面)を練習し始めた。

こけしの血筋だったことが判明

幼い頃、親戚にこけしを作る人がいると母から聞かされたことがあった。しかし、調べても自分にはたどり着かなかった。そんなとき、従兄弟にひょんなことから知っているよという話を聞き、土湯系上の松屋の血統だということが判明。驚きの事実でした。

しかしながら、もともと家族を支えることが生き方の主流だったこともあり、こけしの修行に没頭するまでは至っていません。令和2年現在は、誠孝工人が挽いた木地に描彩をすることでこけしを作っています。

味わいのある独特な雰囲気があり、型にはまらない魅力があると評価されております。
作品それぞれに個性がありますので、それらをお楽しみください。
 

こけしコンクール受賞歴

平成21年 朝日新聞社賞 全国こけし祭りコンクール
平成22年 東日本放送賞 全国こけし祭りコンクール

 

二代目 佐藤誠孝工人(さとうせいこう) 

佐藤誠孝

生年月日 昭和22年2月22日 福島県いわき市生まれ
血液型 0型
好きな言葉 『和』 そのこころは・・・
人間はたくさんの人と関わって生きています。
なごやかな関係を大切にしていきたいですね。

 

 

佐藤誠孝

 海の男からこけし工人へ

17歳の頃、日本海技学校へ入学。

外国貨物船の船員として約10年間勤務。これは伝統こけし工人としては異例のキャリアと言えます。七つの海をまたにかける、まさしく「海の男」だったのです。

昭和45年に父の佐藤誠工人が他界。その時に父のこけしを継ぐことを決意。

昭和48年より佐藤誠の弟子であった高橋精志氏に師事し修行に努めたが、作家であった兄光良の著書「父のこけし」などを通じて、「名品こけしの指南役」と歌われた森亮介氏に出会う。

父のこけし 佐藤光良著  七月堂

氏の、厳しくも心ある暖かい指導のおかげを持ち、次第に注目を集める工人に成長していきます。

こけしの館たつみ  森亮介氏

歴代5人の師匠の名作こけし70種の復元に成功。70種という数は突出して多いと言えます。

更にその名作を基にさまざまな作品を生み出しました。中でもこけし印鑑は広く愛される作品となりました。


平成15年にはみちのくこけしコンクールにおいて最高賞の内閣総理大臣賞を受賞。名実ともに名人と認められました。

これからの佐藤誠孝

現在は、妻美喜子、長男英之、次男裕介がこけし工人として修行を積んでいる。「先代の名品を復元することを通して、長年受け継がれてきた伝統のすばらしさを伝える」ことに加え、「伝統の魅力を生かし、現代に愛されるものを作る」という、新しい世界へと進んでいます。

こけしコンクール受賞歴

全国には、年間に『三大こけしコンクール』が開かれています。

  1. 全日本こけしコンクール(5月・宮城県白石市)
  2. 全国こけし祭り(9月・宮城県大崎市鳴子温泉町)
  3. みちのくこけしまつり(10月・山形県山形市)

各コンクールで賞をいただいております。
大臣賞はコンクールでも指折りの上位賞であり、中でも内閣総理大臣賞は最高賞となっております。

年度 賞名 コンクール名
昭和55年 丸光賞 全日本こけしコンクール
昭和56年 岩手県知事賞 全日本こけしコンクール
昭和57年 実行委員会長賞 みちのくこけしまつりコンクール
昭和58年 米沢市長賞 全日本こけしコンクール
昭和59年 通産大臣賞 みちのくこけしまつりコンクール
白石市長賞 全日本こけしコンクール
七十七銀行賞 全国こけし祭りコンクール
昭和60年 村山市長賞 みちのくこけしまつりコンクール
エスパル賞 全国こけし祭りコンクール
昭和61年 米沢市長賞 みちのくこけしまつりコンクール
東北放送賞 全日本こけしコンクール
仙台放送賞 全国こけし祭りコンクール
昭和62年 白石市長賞 みちのくこけしまつりコンクール
昭和63年 秋田営林局長賞 みちのくこけしまつりコンクール
名鉄賞 全国こけし祭りコンクール
平成元年 通産大臣賞 みちのくこけしまつりコンクール
林野庁長官賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成5年 鶴岡市長賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成11年 東北森林管理局長賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成13年 山形県知事賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成15年 内閣総理大臣賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成16年 林野庁長官賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成17年 国土交通大臣賞 全国こけし祭りコンクール
平成18年 岩手県知事賞 全日本こけしコンクール
国土交通大臣賞 全国こけし祭りコンクール
東北森林管理局長賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成19年 読売新聞社賞 全国こけし祭りコンクール
国土交通大臣賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成20年 NHK仙台放送局長賞 全日本こけしコンクール
東日本放送賞 全国こけし祭りコンクール
平成21年 産経新聞社賞 全国こけし祭りコンクール
山形県観光物産協会長賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成22年 東北森林管理局長賞 全国こけし祭りコンクール

 

三代目工人 佐藤英之(さとうひでゆき)

佐藤英之
生年月日 昭和52年8月2日 福島県いわき市生まれ
血液型 O型
好きな言葉 「千里の道も一歩から」そのこころは・・・
『こけしの修行は一生続くものですが、ひとつひとつの事を心を込めてやっていきたいと思います』

※平成23年赤城山仮設工房にて

佐藤英之のこけし

昭和52年福島県いわき市で生まれる。幼い頃から活発な子どもで、こけしの木の切れ端で飛行機を作るなど、ものを作ることが大好きな少年だった。

大学生の頃、叔父の光良が他界。光良の著書「父のこけし」を読み、自分のルーツである「こけし」というものを考え、自分がいつかその道に入りたいと思うようになる。

平成14年7月よりこけしの修行を始める。
平成15年5月の弥治郎こけし工人会総会にて伝統こけし工人に承認され、デビューとなる。

制作活動と並行して、こけしを世界中へ伝える活動を続ける。

平成22年には、毎年1月2日に弥治郎こけし神社で行われている「初挽き」工人に選出された。

平成25年には福島県いわき市小川町に小川工房を設立。伝統を基礎としたオリジナル作品の制作にも意欲的に取り組んでいる。

こけしコンクール受賞歴

平成16年 読売新聞社賞 全国こけし祭りコンクール
審査員奨励賞 全国こけし祭りコンクール
岩手県知事賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成17年 読売新聞社賞 全国こけし祭りコンクール
山形県観光物産協会長賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成18年 河北新報社賞 全日本こけしコンクール
宮城テレビ放送賞 全国こけし祭りコンクール
平成20年 みちのくこけし協会長賞 みちのくこけしまつりコンクール
平成21年 東日本放送賞 全国こけし祭りコンクール
平成22年 山形市長賞 全日本こけしコンクール
宮城県物産振興協会長賞 全国こけし祭りコンクール