2010年05月29日

こけしの歴史・佐藤誠弥治郎時代

佐藤誠は、わが木地処さとうの初代であり、僕にとっては祖父にあたる。

木地処さとうの歴史を知っていただくためにも、佐藤誠の生い立ちは重要なので、何回かに分けてご紹介して行きたいと思います。

 明治34年福島県伊達郡に生まれた佐藤誠は、明治42年9麹ヒの時に小倉嘉三郎氏の弟子となりました。 三年間は子守や農業などをして、12歳頃からこけしの修行を始めました。嘉三郎氏だけでなく、氏の兄弟の茂松、佐藤今三郎にもこけしを習ったそうです。

 弥治郎時代の誠は、弥治郎系の特徴とも言えるロクロ模様を中心にしたこけしを主に作っていました。当時からロクロ線の繊細さ、色彩感覚には定評があったようです。
 中でも「誠最古型ロクロ」は、大正14年に撮影された、日本最古のこけし写真と名高い「各地コケシボーコ」
(下写真)に、名だたる名工の作品と共に掲載されていて、価値のある作品と言われています。
kakuchikokeshiboko.jpg
日本土俗玩具集二-五 最古のこけし写真(推定大正14年頃)
・・・「日本土俗玩具集」全5編を発行したが、第二編第5瑞}に載せた「各地コケシボーコ」の写真の一枚が、こけし界最古の写真文献として著名である。佐久間浅之助、飯坂佐藤栄治、遊佐民之助、佐藤誠(推定)、高橋勘治(推定を含む)四本、岡崎長次郎二本、荒井金七、以上十一本のこけしを掲載している。明治、
大正期のこけしを研究するにあたっての非常に貴重な資料である。
鹿間時夫編・こけし辞典493頁「婢子会」より抜粋

 弥治郎時代の誠には、佐藤春治、新山左内という腕利きの仲間がいて、「弥治郎三羽カラス」と呼ばれていたそうです。また、弟弟子に梅こけし創案で有名な大野栄治がいました。

 佐藤誠の弥治郎時代は、兵役、お礼奉公を終えて仙台に出た大正13年まで続きました。その後いわき市へ移り、大工場建設・経営者へと上り詰めていく(平時代)のですが、その背景には弥治郎時代の下積みがあったのですね。

文 佐藤英之

 

佐藤裕介作 起き上がりだるま

先日ご紹介した、わが弟弟子佐藤裕介の新作紹介です。

作り手が変われば発想も違うもので、今までうちでは作らなかったようなものにチャレンジしています。

yk068.jpg
いかめしい顔をしただるま。このだるま、座っているだけではありませんΣ(゚ロ゚ノ)ノ
ちょっとした細工がほどこされていて、倒しても起き上がってくるだるまなのです。
くらくら~と起き上がってくるところが、なんとも手作りの味わいで面白い。

動画でご紹介しています。ぜひご覧ください!


佐藤裕介作起き上がりだるまはこちらからご覧ください