平成24年のご挨拶を申し上げます

木地処さとう 平成24年のご挨拶

 みなさま新しい年をいかがお迎えでしょうか?

昨年度は大変な震災を経験しましたが、多くのみなさまの支えのおかげで、木地処さとうは家族元気で新年を迎えることができました。


 本日は、新しい年のご挨拶とともに、木地処さとうの今後の方針についてご報告申し上げます。

 昨年の東日本大震災を機に、福島県いわき市から群馬県渋川市へ一時移転してもうすぐ10ヶ月となります。本当にたくさんの方に助けられ、支えられ、「絆」を強く感じる日々でした。

 私たちは3月頃をもって、福島に引き上げることにしました。
福島はようやく仮設住宅やガレキ撤去が進んだくらいで、今年は復興というよりは、本当の意味で震災で受けた傷と向き合う年になるのではないかと思います。

 私たちの福島の工房も、いたるところにダメージを受けていて、補修なども多々やらなければいけないことがあります。

 ですが、震災で学んだこと、一時移転した群馬県で学んだこと、そして私たちが脈々とつないできた100年の歴史をよく振り返り、一歩一歩進んでいくつもりです。

 100年の歴史の中にはこんなことがありました。
私たち木地処さとうは、第二次世界大戦という戦災を経験しています。
その当時は初代佐藤誠だけがこけしに従事していたのですが、終戦の少し前まで、福島県いわき市で「佐藤木工所」という大きな工場を経営していました。終戦間際には、ほとんど軍需工場となっていたようです。

 終戦間際、佐藤木工所はダミーの飛行場にするという悲しい目的で買収され、なくなってしまいました。
昭和元年創業の佐藤木工所は昭和20年頃に倒産ということになり、その後佐藤誠が復活を誓って移転したのが、群馬県前橋市群馬総社町でした。

 佐藤誠の群馬での仕事は、昭和30年頃まで続いたようですが、その頃は近代こけしの誕生時代。
群馬の木地業は小田原から伝わってきていましたが、近代こけしの誕生に佐藤誠が一役買っていたことは間違いないということがわかりました。

 そのことも、群馬に来なければ私たちには調べようがないことであって、私たち自身、自分達の歴史を再発見した感動がありました。

 私たちの初代は、そんな辛い時代をたくましく生き抜いた。
私たちもしっかりとこの震災から復活しなくてはいけないと思います。
これからもみなさんに応援していただけたら、きっと早く復興できると信じています。
 今後とも、木地処さとうをよろしくお願いいたします。

木地処さとう三代目 佐藤英之

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