2021年03月

【新作紹介】桜えじこ「桜子」 英之作

令和3年も桜の季節となりました。
あたたかくなり、気分もウキウキしてきますよね!
それなのに長引く新型コロナウイルスの蔓延でお花見は自粛。
残念な春になってしまっています。

やはりこんな時こそこけしがお役に立ちたいと考えました。
せめてこけしで、少しでも春を楽しんでいただきたい。
そんな思いから桜えじこ「桜子(さくらこ)」が誕生いたしました。



木地処さとう小川工房がある、福島県いわき市小川町には樹齢500年以上と言われる紅しだれ桜がある小川諏訪神社があります。
毎年この季節になると、私たちは歩いてお花見に行くのを楽しみにしていました。
今年は桜まつりや夜桜のライトアップも中止。私たちは神社にお参りさせてもらうだけでも・・・と歩いて行ってきました。すると桜は毎年と同じように咲き誇っていました!とても元気をいただいて帰りました。

私はなにか桜に教えられたような気持になり、帰るとすぐに新作のスケッチにかかりました。
新作というのはピーンと来た時に一気に出来上がる瞬間があります。今回はまさにそんな感じでした。
試作もいつも以上にスムーズに進みましたので、なんとか桜の時期にご紹介できることとなりました。

制作はこれからになりますので、お届けできるのは桜の時期が終わってからになってしまうかもしれませんが、よろしければご予約を承っております。
こちらの商品ページ【桜えじこ「桜子」英之作】より詳細をご覧くださいませ。

三代目 佐藤英之

かぐやと桃太郎

  1. 木地処さとう二代目佐藤誠孝工人のオリジナル作品、「かぐや」と「桃太郎」をご紹介します。

    それぞれ丸い木の中にお顔が埋め込まれており、そのお顔は指でさわるとくるくると回ります。
    そして寝たり起きたりの表情を見せてくれるのです。シンプルながら、大変人気の高い作品です。

お守りとしてのこけし

誠孝工人のオリジナル作品はたくさんありますが、このかぐやと桃太郎は「お守り」というテーマを持って作られました。

それは使用している木に由来があります。
お顔を包んでいる桃や竹を表現している丸い部分は、樹齢500~600年と言われるご神木であったイチョウの木で作られています。これは大変貴重な木材を使っていると言えるのです。

このイチョウの木が芽を出したのが短く見積もって500年前だとすると、2021-500=1521年ということになります。分かりやすく日本史で例えると、なんとあの武田信玄公が生まれたのが1521年とのこと!
しかもこの木は神社から譲り受けたものなので、ご神木ということになるのです。
そんな時代に生きてきた木が、現代にこけしとなっていることが驚きですね。

あたたかさを感じられるこけし

誠孝工人は、「飾るだけでなく、触って親しんでもらえるこけしを作りたい」という思いを持ってこけしを作ってきました。
桃太郎とかぐやを手にとると、やわらかいイチョウの木の温もりを感じることができます。
それは木の温もりだけでなく、木が歩んできた長い長い時間や、誠孝工人の思いなども感じることができるからかもしれませんね。

かぐやと桃太郎は【1点もの作品集】で販売しております。(売り切れの際は、【注文制作】からご予約できます)
大切な方への贈り物に、またはコレクションにご検討くださいませ。

三代目 佐藤英之

東日本大震災と木地処さとう おまけ

4回にわたった「東日本大震災と木地処さとう」のお話をお読みくださりありがとうございました。

2012年2月28日に読売新聞に掲載された記事が見つかりましたので、ご覧くだされば幸いです。

私達はたくさんの方々に支えられ、生かされていることを10年目に改めて思い出すことができました。

これまでの経験、みなさんから受けたご恩すべてをこけしに込めてゆきたいと思います❗今後も木地処さとうをよろしくお願いいたします。

三代目 佐藤英之

東日本大震災と木地処さとう 最終回

私達は水を得た魚のようにこけしを作りました。この時ほど作る喜びを味わえた瞬間はなかったかも知れません❗

赤城山で生まれたオリジナル作品をご紹介します😃
1 赤城山のレンゲツツジ 英之作

2 赤城山のミヤマキリシマ 美喜子作

3 赤城山の子持ちこけし 英之・裕介合作

4 赤城山の梅こけし 誠孝作

いずれも群馬県産みずき材を使い、赤城山の仮設工房で生まれた作品です。
群馬県のみずきは東北のものよりやわらかく、フワッとした雰囲気のこけしになるように感じました。作風に大きく影響したと思います。

赤城山の中腹という分かりにくい立地にも関わらず、たくさんのお客様が応援に来て下さいました❗心から御礼申し上げます。

仮設工房は物置小屋1つだけだったものが次第に増えて3つになり、不便なところはあるものの制作量は以前と同じか、それ以上になっていました。それには群馬県という地理的な要因がありました。群馬県はこけしの材料になるみずき材の大産地で、私達が望む通りに手に入れることができました。これには私達は今まで経験したことがない豊かさを感じていました。

仮設工房設立にお力添えを下さった藤川工芸様、温かく見守って下さった赤城町の皆様、快く仲間に入れてくださった創作こけし作家の皆様、群馬こけし愛好会会員の皆様にも深く御礼申し上げます。

私達は2012年3月末に赤城山の仮設工房を閉じ、福島県いわき市に帰還しました。赤城山の経験をもとに、2015年にはいわき市の水石山の麓に小川工房を設立。群馬県産みずき材は今でも一部使って作品を作っています。

東日本大震災の頃、「震から新へ」というキャッチコピーがよく流れていました。震災はつらいことがたくさん起こりますが、そこから新しい生き方を拓いていける時でもあるのかもしれません。

東日本大震災と木地処さとうのお話はこれで終わりです。明日から11年目となりますが、前を向いてこけしを作ってゆきます❗ありがとうございました。

東日本大震災と木地処さとう その3

赤城山に落ち着いた私は焦っていました。

避難所では衣食住の支援を受けられたが、赤城山では自活しなくてはなりません。それにはこけしを作る以外に道はありません。

そんな時「近くに創作こけし工房がある」という情報が入ります。

私はこんなことを思いました。
まさかこの近くにこけし工房が?
そういえば群馬県は創作こけしの産地だと聞いたことがある。しかも車で15分という近くにあるらしい。もしお力を借りることができれば、こけしが作れるかも知れない…迷ってる時間はない。

私達はわずかな希望をかけて工房を訪ねました。すると社長さんは快く力を貸すとのお言葉‼️
私は奇跡という言葉はこういう時のことを言うのだと思いました。
こけしの材料となる水木の提供、大きな機械やトラックの貸与など全面的に支援をいただき、私達は赤城山に仮設こけし工房を建てることに成功したのです。







私達はこれまでの時間を取り戻すようにこけしを作りました。写真は裕介工人が赤城山で作った最初のこけし「赤城山の夕日」です。

4月1日、震災から3週間後のことでした。
次回は赤城山で生まれた作品たちを紹介します。

東日本大震災と木地処さとう その2

避難所生活は一週間続き、私達はとても疲れていました。当時200人以上が1つの体育館の中で仕切りなしで生活していたし、何しろいつ避難所生活が終わるのかわからない不安が苦しかったのです。

私達は落ち着ける家を借りることを考えていました。しかし震災直後で全く見つからないのです。

ある時、東京にいる友人から「たまたま入った蕎麦屋で、隣の方が群馬県の別荘を困ってる人に貸したいと言ってるよ。検討して❗」とメールが来ました。

見ず知らずの方から家を借りるなんて、普段ならとてもお受けできない話なのですが、他に頼れる所はない。行ってみよう…ということになりました。

地震の被害で所々陥没している東北道を通って群馬県の赤城山中腹にある赤城インターまでたどり着きました。

山荘を貸してくれるIさん夫妻がインターで待っていてくれました。初めてお会いしたのに親戚が温かく迎えてくれたように感じ、涙がでました。


震災直後、平常時には考えられない助け合いがたくさんあったのです。私達もたくさんの方の助けを受けました。感謝してもしきれないほどだと感じています😃

私達はこの山荘で1年間の避難生活を過ごすことになります。群馬では今でも信じられないこけしに関わる出会いがありました❗次回はそんなお話です。

東日本大震災と木地処さとう その1

もうすぐ東日本大震災から10年。
木地処さとうの所在地は福島県いわき市ですから震源地に近く、大きな被害を受けた地域です。

節目の年なので4回に分けて、「東日本大震災と木地処さとう」というお話をさせていただきます。

【東日本大震災と木地処さとう その1】
あの日、誰も思いもよらない大地震が起こってしまいました。

こけしは全てなぎ倒され、自宅兼工房も被害が。その日はわからなかったのですが、とんでもない大津波が沿岸部を襲っていました。海岸沿いのホテルに展示していたこけしは津波にのまれてしまいました。(写真は津波にのまれたこけしの一部)

被害の全容がまだわからない中、福島第一原子力発電所が爆発を起こしてしまいます。私達は家族で遠くに避難することを決意して、1週間ほど会津若松市の避難所に身を寄せました。これからこけしを作ることはできるだろうかという不安はものすごくありましたね…。

私は趣味で競技けん玉をしていましたので、暗い雰囲気の避難所を明るくしようと「避難所けん玉教室」を開きました😂みなさんも私達自身も元気が出てきたような気がしました。けん玉には感謝しています。

ここから私達はこけしに導かれるような出会いを経験することになりました。それはまた次回以降お話します😃

#木地処さとう
#東日本大震災