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新工人・佐藤裕介のご紹介


佐藤誠孝の次男で、英之の弟にあたる、佐藤裕介がこけし工人としてデビューすることになりましたので、ご紹介いたします。平成22年5月3日の弥治郎系工人会総会にて、伝統こけし工人に承認されました。
新工人・佐藤裕介  
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佐藤裕介(さとうゆうすけ) 昭和57年4月6日 福島県いわき市生まれ

幼い頃から絵画に深い興味を持ち、高校卒業後は絵画関係の専門学校へ進む。その後も独学で絵画を磨き、雅号「夏井裕」として地元を中心に絵画活動を行っていました。特に「にがおえ」は、暖かい雰囲気でとても人気があります。夏井裕の絵画専用ホームページはこちらからご覧いただけます。
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学生の頃から手伝いをしていましたが、平成21年10月より、父誠孝を師匠として、正式にこけしの修行を始めました。絵画の経験から生まれる筆使いで、描彩には独特な味わいがあり、今後のこけしが期待されます。
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平成20年5月。水木の皮むきにも参加してました。これも修行の始まりだったのかも。

現在、初作のこけしをホームページで販売開始しております。
佐藤裕介の初作こけしはこちらからご覧ください。

みなさん、どうぞあたたかく見守ってくださいますよう、よろしくお願いいたします。

 

 
 

佐藤誠孝プロフィール

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佐藤 誠孝(さとうせいこう)
生年月日:昭和22年2月22日生まれ
血液型:0型
佐藤誠孝
平成21年11月 道具作り

少年時代 ~戦争の傷跡~

生まれはいわき市ということになっているが、実は疎開先の福島県会津若松市。
幼い頃からこけし作りの修行を積んだ父誠は、20代後半から木工品を製造する会社の経営者になっていたが、太平洋戦争の影響で事業に失敗。父が各地で転々と事業をする中、母秀子と、兄光良、姉香代子の4人で少年時代をすごす。

青年時代 ~海の男~

15 歳の時、高校を中退後、自動車整備学校に入学し、ほどなく修理工として働き出すが、その間に、夢でもあり、衣食住を負担してもらえて、苦しかった家計を助 けることもできる船乗りを目指し、海技学校への費用、勉強などの準備をして、単身静岡県清水市にある日本海技学校へ入学。その後、10年にわたり、七つの 海をまたにかける、まさしく「海の男」として活躍した。

その間、送られてきていたお金を一部として、母秀子は旅館経営を始める。旅館は軌道に乗って忙しくなったが、船を降りて助けることまではその時はしなかった。

海の男、一転こけし工人へ

長年家族とは別居生活を続けていた父誠は、晩年になり家族と多少の交流はあったが、岩手県平泉で一人こけしを挽いていた。その父が亡くなったとき、船を降り、こけしを継ぐ決意を固めた。

兄と二人でつかんだ、人生の師との出会い

それからしばらくの間は旅館の番頭の仕事をこなしながら、父誠の弟子であった高橋精志氏の所に通ってこけしの修行に努めたが、作家であった兄光良の著書「父のこけし」などを通じて、「名品こけしの指南役」と歌われた森亮介氏に出会う。

氏の、厳しくも心ある暖かい指導のおかげを持ち、旅館は人に譲り、専業のこけし工人として活動し始めた。

現在は、全国に多くのファンができるようになり、各コンクールで上位と呼ばれる大臣賞も数多く受賞した。平成15年にはみちのくこけしコンクールにおいて最高賞の内閣総理大臣賞を受賞。きっと亡き父誠、そして森氏も喜んでくれていることだろう。

これからの佐藤誠孝

現在は、妻美喜子、長男英之もこけし工人として修行を積んでいる。今後は、森亮介氏から仕込まれた、「先代の名品を復元することを通して、長年受け継がれてきた伝統のすばらしさを伝える」ことに加え、「伝統の魅力を生かし、現代に愛されるものを作る」という、新しい世界へと進んでいます。



 
 

佐藤英之のプロフィール

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名前 佐藤 英之(さとうひでゆき)

生年月日:昭和52年8月2日生まれ
血液型:O型
師匠:佐藤誠孝
佐藤英之
※平成22年1月2日初挽き

少年時代
昭和52年福島県いわき市で生まれる。幼い頃から活発な子どもで、こけしの木の切れ端で飛行機を作ってみたり、当時はやっていたミニ四駆に没頭するなど、ものを作ることは好きな男の子だった。

15歳での旅立ち
高校受験の時期にさしかかり、周囲の友達が次々と志望校を決めていく中、「いわきには行きたい高校はない、奈良県の天理高校に行く」と決め、実現した。 幼少の頃から、祖父母が信仰していた天理教の影響があったのかもしれない。(野球をしに行った訳ではない)厳しい寮生活にも耐え、大切な仲間もできた。仲 間たちに聞くと、当時の彼は、「こけしは継がない」と言っていたそうである。

こけしの道へいざなう叔父
高校3年間を終え、大阪府所在の関西外国語大学に入学。高校時代は神童と言われた彼も、大学という世界に入ると、自分以上に勉学の才能が溢れる人達に囲 まれ、凡人以下の悔しさを感じることもあったようだ。しかし、持ち前の明るさのおかげか、人から頼られることも多く、友人はかなり多かった。

大学入学してすぐ、誠孝の兄、光良が亡くなった。それから初めて、ずっと自分を気にかけてくれていた叔父の著書「父のこけし」を読む。その時ぼんやりと、自分が生まれた「こけしの世界」というものを考え、自分がいつかその道に入ると感じていたのかもしれない。

学生から社会人へ
卒業後すぐにこけしの道へということも一度は考えたが、広い世界をこの目で見なければと、大阪の某専門商社に入社。世の中の厳しさ、仕事とはどういう姿勢で臨むべきかをそこで勉強した。

サラリーマンからこけし工人へ
平成14年7月。2年と3ヶ月勤務した会社を辞め、長年住んだ関西地方と別れを告げ、約10年ぶりにいわきへ戻り、こけしの修行を始める。
平成14年暮れから木地挽きも始め、平成15年5月の弥治郎こけし工人会総会にて、弥治郎系伝統こけし工人に承認、デビューとなる。

制作活動以外にも、ホームページを通じて、こけしを全国そして世界へ伝える活動を続ける。
他、地元を中心にしたイベント活動、こけし作り体験教室、こままわし大会、けん玉教室と活動は多岐にわたる。
こけしコンクールでは、岩手県知事賞を始め9度の入賞を果たしている。(平成22年1月現在の記録)
現在は祖父誠型を中心に、小倉嘉三郎型、大野栄治型こけし製作に取り組んでいる。

平成22年には、毎年1月2日に弥治郎こけし神社で行われている「初挽き」工人に選出された。

 
 

佐藤美喜子プロフィール

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佐藤 美喜子(さとうみきこ)
生年月日:昭和30年1月4日生まれ

血液型:A型

師匠:佐藤誠孝

佐藤美喜子

 

生まれ
昭和30年福島県会津若松市に生まれる。四人兄妹の末っ子。幼い頃から、あまり口数が少ない子どもだった。高校生の時、バトミントン部に所属、主将として全国大会に出場した経験も持つ。

結婚・そして自立への道
18歳の時、佐藤誠孝と出会い、19歳で結婚。当時姑が経営して、多忙になっていた旅館業に従事し、夫と3人で忙しい日々を送っていた。
そんな彼女も、4人の子宝に恵まれ、夫誠孝が、人生の師とも言える森亮介氏と出会い、こけしを専業とすることが決まった。旅館は人に譲り、現在の平塩へ移転してからは、次第に自分の居場所を確立していったようである。

こけしの道へ
子どもたちも大きくなり、次第に手を離れていくにしたがって、少しずつではあったが、こけしの仕事を手伝うようになった。また、10年前頃からは、こけしの描彩(紙面)を練習し始めた。

出生の秘密
幼い頃、親戚にこけしを作る人がいると母から聞かされたことがあった。しかし、調べても自分にはたどり着かなかった。そんなとき、従兄弟にひょんなことから知っているよという話を聞き、土湯系上の松屋の血統だということが判明。大事件だった。

これからの佐藤美喜子
平成15年5月、英之と同時に弥治郎こけし工人に承認される。
平成21年の全国こけし祭りコンクールでは初入賞を果たす。