佐藤英之のプロフィール
名前 佐藤 英之(さとうひでゆき)
生年月日:昭和52年8月2日生まれ
血液型:O型
師匠:佐藤誠孝
※平成22年1月2日初挽き
少年時代
昭和52年福島県いわき市で生まれる。幼い頃から活発な子どもで、こけしの木の切れ端で飛行機を作ってみたり、当時はやっていたミニ四駆に没頭するなど、ものを作ることは好きな男の子だった。
15歳での旅立ち
高校受験の時期にさしかかり、周囲の友達が次々と志望校を決めていく中、「いわきには行きたい高校はない、奈良県の天理高校に行く」と決め、実現した。 幼少の頃から、祖父母が信仰していた天理教の影響があったのかもしれない。(野球をしに行った訳ではない)厳しい寮生活にも耐え、大切な仲間もできた。仲 間たちに聞くと、当時の彼は、「こけしは継がない」と言っていたそうである。
こけしの道へいざなう叔父
高校3年間を終え、大阪府所在の関西外国語大学に入学。高校時代は神童と言われた彼も、大学という世界に入ると、自分以上に勉学の才能が溢れる人達に囲 まれ、凡人以下の悔しさを感じることもあったようだ。しかし、持ち前の明るさのおかげか、人から頼られることも多く、友人はかなり多かった。
大学入学してすぐ、誠孝の兄、光良が亡くなった。それから初めて、ずっと自分を気にかけてくれていた叔父の著書「父のこけし」を読む。その時ぼんやりと、自分が生まれた「こけしの世界」というものを考え、自分がいつかその道に入ると感じていたのかもしれない。
学生から社会人へ
卒業後すぐにこけしの道へということも一度は考えたが、広い世界をこの目で見なければと、大阪の某専門商社に入社。世の中の厳しさ、仕事とはどういう姿勢で臨むべきかをそこで勉強した。
サラリーマンからこけし工人へ
平成14年7月。2年と3ヶ月勤務した会社を辞め、長年住んだ関西地方と別れを告げ、約10年ぶりにいわきへ戻り、こけしの修行を始める。
平成14年暮れから木地挽きも始め、平成15年5月の弥治郎こけし工人会総会にて、弥治郎系伝統こけし工人に承認、デビューとなる。
制作活動以外にも、ホームページを通じて、こけしを全国そして世界へ伝える活動を続ける。
他、地元を中心にしたイベント活動、こけし作り体験教室、こままわし大会、けん玉教室と活動は多岐にわたる。
こけしコンクールでは、岩手県知事賞を始め9度の入賞を果たしている。(平成22年1月現在の記録)
現在は祖父誠型を中心に、小倉嘉三郎型、大野栄治型こけし製作に取り組んでいる。
平成22年には、毎年1月2日に弥治郎こけし神社で行われている「初挽き」工人に選出された。
佐藤美喜子プロフィール
佐藤 美喜子(さとうみきこ)
生年月日:昭和30年1月4日生まれ
血液型:A型
師匠:佐藤誠孝
生まれ
昭和30年福島県会津若松市に生まれる。四人兄妹の末っ子。幼い頃から、あまり口数が少ない子どもだった。高校生の時、バトミントン部に所属、主将として全国大会に出場した経験も持つ。
結婚・そして自立への道
18歳の時、佐藤誠孝と出会い、19歳で結婚。当時姑が経営して、多忙になっていた旅館業に従事し、夫と3人で忙しい日々を送っていた。
そんな彼女も、4人の子宝に恵まれ、夫誠孝が、人生の師とも言える森亮介氏と出会い、こけしを専業とすることが決まった。旅館は人に譲り、現在の平塩へ移転してからは、次第に自分の居場所を確立していったようである。
こけしの道へ
子どもたちも大きくなり、次第に手を離れていくにしたがって、少しずつではあったが、こけしの仕事を手伝うようになった。また、10年前頃からは、こけしの描彩(紙面)を練習し始めた。
出生の秘密
幼い頃、親戚にこけしを作る人がいると母から聞かされたことがあった。しかし、調べても自分にはたどり着かなかった。そんなとき、従兄弟にひょんなことから知っているよという話を聞き、土湯系上の松屋の血統だということが判明。大事件だった。
これからの佐藤美喜子
平成15年5月、英之と同時に弥治郎こけし工人に承認される。
平成21年の全国こけし祭りコンクールでは初入賞を果たす。